豊橋市多米町に豊橋市民俗資料収蔵室があります。10年ほど前に行ったことがありますが、久しぶりに見学してきました。
収蔵室入口 ↑収蔵室は豊橋市に残る唯一の木造校舎である旧多米(ため)小学校校舎を利用しています。
旧多米小学校 ↑廊下 ↑
教室 ↑昭和の頃の生活用品が展示してあります。当ブログが成長してきた頃と同じなので馴染みがあります。
昭和30年代の茶の間 ↑弁当箱 ↑櫃、槌 ↑
農機具が多くみられます。
脱穀機 ↑大八車、籾摺り機 ↑鋤、鍬 ↑
三河湾沿いは海苔の養殖が盛んでした。
海苔貼り具 ↑
明治の終わりから昭和の初めまで糸の町として知られていました。
製糸用具 ↑収蔵資料数は3,500点あるそうです。ほんの一部の紹介でした。
民俗資料収蔵室とは別ですが、隣に「蝉川七つの石」と呼ばれ、戦時中、多米町出征兵士見送り、帰還兵出迎えの場がありました。奥に忠魂碑があり、道沿いにその説明版があります。
忠魂碑 ↑ 蝉川七つの石の説明版 ↑7つの石が置かれていますが、今は草に埋もれてしまって石は見えません。特別な石でもなく、大きな石でもありません。この石の上に立ち送迎の挨拶が行われました。
戦争中はどこの町でも出征兵士を送る場所がありました。小旗を持ったかっぽう着姿のお母さんたちが大勢集まり、歓呼の声に送られて出征して行きました。
また、この場所は帰還兵を迎えるところでもありましたが、白布の包まれた桐箱の英霊を迎えることがその後続きました。