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豊橋八十路のつぶやき

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豊橋市民俗資料収蔵室(8月9日)

豊橋市多米町に豊橋市民俗資料収蔵室があります。10年ほど前に行ったことがありますが、久しぶりに見学してきました。
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収蔵室入口 ↑

収蔵室は豊橋市に残る唯一の木造校舎である旧多米(ため)小学校校舎を利用しています。

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旧多米小学校 ↑

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廊下 ↑

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教室 ↑

昭和の頃の生活用品が展示してあります。当ブログが成長してきた頃と同じなので馴染みがあります。
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昭和30年代の茶の間 ↑

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弁当箱 ↑

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櫃、槌 ↑


農機具が多くみられます。

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脱穀機 ↑

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大八車、籾摺り機 ↑

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鋤、鍬 ↑
  

三河湾沿いは海苔の養殖が盛んでした。

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海苔貼り具 ↑


明治の終わりから昭和の初めまで糸の町として知られていました。

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製糸用具 ↑

収蔵資料数は3,500点あるそうです。ほんの一部の紹介でした。


民俗資料収蔵室とは別ですが、隣に「蝉川七つの石」と呼ばれ、戦時中、多米町出征兵士見送り、帰還兵出迎えの場がありました。奥に忠魂碑があり、道沿いにその説明版があります。

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忠魂碑 ↑ 

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蝉川七つの石の説明版 ↑

7つの石が置かれていますが、今は草に埋もれてしまって石は見えません。特別な石でもなく、大きな石でもありません。この石の上に立ち送迎の挨拶が行われました。

戦争中はどこの町でも出征兵士を送る場所がありました。小旗を持ったかっぽう着姿のお母さんたちが大勢集まり、歓呼の声に送られて出征して行きました。

また、この場所は帰還兵を迎えるところでもありましたが、白布の包まれた桐箱の英霊を迎えることがその後続きました。

by matukaze229 | 2020-08-09 14:59 | 見学 | Comments(0)
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